ごあいさつ

私にとって社労士とは、労働経過における相談先であり、回答の手段でした

私は、耳に補聴器具を日常生活で使用・装着し、今の労働人生を歩きだしました。

当時、自分の意識、思うに知識の不足が大きく、感音性難聴という軽度ながら障害の名が残る事に。

今、健聴者とは同じくは難しいですが、高度化した周辺機器等の助けも受け、電話通話も、一般社会でいう労働者としての参加や、労働に応じた待遇は受けることができる。でも、不本意な労働停滞や技能習得の遅れ、就労機会の制限など、雇用契約や賃金に、マイナスに向く改定されるが一般社会の現実。

疾病や負傷等での治療経過の判断は、医師の高度専門性に頼り、従い、療養すべきもの。

傷病等の療養経過は、労働と、その意欲や責任感と一度切り離し、国の保険で繋げる可能性があります。

それらは、労働法に、労災保険や雇用保険に、医療保険や年金保険などにも。

自分の場合は、当時の不安や苛立ちは、自己で調べる事と、社労士への相談から始めました。

自分自身の、労働と経験

私の前職は建設業での現場労働に従事し、現場の実務、施工管理が最終の立場でした。

工事の完成を目的に、工程期限の中、早く・安く・上手く、の当時原則とした前線での経験が主であり、現場単位での完成度や技術の向上を、安全施工の線引きと両立を目指し、工事種別に、工事場別に、工事期間毎に、新たな目標と数値を設定した施工体制の一員としての業務でありました。

その当時、結果としては、労働の中の自分を見直す事が、課題となります。

労働法に出会い、制度間の疑問と複雑さを知り、国の資格者である社会保険労務士の知識に体を向けます。

私にできることは、各の実情と、労働・社会保険諸法令との距離を近くにすること。自分が得た今までの教わりや、現場実務で覚えた労務管理の習慣を、それぞれの特性から探すことだと。そして、考えること。

現場からでしかに生まれない知恵はあり、その部分を重点にすべきだと思っています。

人の優しさや、思いやりも、多く実感。労働者としての職業経験が、自分の基礎となっています。

私の考える、平凡という定義つけ

私は何でもできる。とは言えません。

結果、中途で未熟な労働人生ですが、雇用という、机上を離れた実務や、組織や現場、仲間の中で、感じ、共有したもの、先輩方に教えいただいたものは大切にしたいと思います。

特別になろうとはしません。

もちろん、歩き登るための、知識や実務の習得には励むつもりです。

人それぞれ異なる、平凡という定義つけに、自分だけの意味を持たせる努力は行います。

平凡とは、簡単な達成ですか。

好きな言葉

私は今までの職業生活での実務に際し、行動意識から離したくない言葉がありました。

「やってみせ、説いて聞かせて、やらせてみ、ほめてやらねば、人は動かじ」

戦場という我が国の経過の中で、旧海軍の連合艦隊司令長官の有名な伝え言葉です。当時の国内情勢と、現在の職場環境と同じくはできませんが、行動として重みを受けています。

この教えは、人を管理する指針というより、自分の行動と発言に意識つけるために。どの業務役割時においても「自分は動かじ」に読み替えて。勝手な自分を抑え、中途な自分を成長させる剤として。

「やってみせ、」は、これより先の私が目指す業務には直接な実務はないかもしれませんが、実戦的なものでなくとも、下位置に徹した業務で支えることができれば、この名言は一生使えそうです。

最近に、大胆にも「ことば」を追加しました。紀元前6世紀との諸説がある「老子」での言葉があります。

「知人者智、自知者明」(人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり。)

老子が言う「智」を超える「明智」へ、とは到底無理ですが、自己を受入れるための一歩を課題としながら、労働者や使用者としての労働経験と姿勢は忘れずに。修正ながら歩いていきたく思います。

国土に据え置く構造、地域に構築する事業活動の姿形も様々に思います。事業活動に合わせた基礎工事の一部を、作業服でお手伝いするのが社会保険労務士としての、自分の業務と、今は考えています。

社会保険労務士 嶋村徹

略歴・資格

略歴

昭和42年 大阪市天王寺区において出生
昭和58年 大阪市立扇町中学校卒業
昭和61年 大阪府立豊島高等学校卒業
昭和63年 大阪産業大学を中途退学し、同年、自動車整備業へ就職
平成03年 建設業へ再就職
平成24年 全国社会保険労務士試験合格
平成28年 シマムラ社労士事務所、開設

技能

平成15年 1級土木施行管理技士
平成18年 1級建設機械施工技士
平成27年 社会保険労務士

健康診査

自分は落ち着きのない子だったと思います。結構、大きくなっても子供心満杯です。

いたずら好きであったと記憶しますが、以前から集団行動はあまり好きでは無かったと思います。

昔の学友や以前の仕事仲間は今でも友好関係です。活動や業務で目的を同じく目指したからだと思います。

弱い人間だと気付いたのは「若い」という文字が似合わない年齢からです。

仕事には少し自信もあったのですが、組織に頼る過信事だと気付く。労働者から見た組織は大きかった。

弱い割にお節介事を口にする時がある自分ですが、最近、笑顔の準備、ごまかし笑いの練習を始めました。

健康診査も気になる年齢に。今は何度計っても身長は177センチ、以前はあと1センチ長身でした。

それでも労働安全衛生法での一般健康診断は重要かと。

 

シマムラ社労士事務所は、事務所所在地から、家族療養中の大阪を抜け、活動を予定します。